節分の「いわしとヒイラギ」の厄払いの由来は?

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柊鰯2月3日は節分です。現在では節分といえば最初に思いつくのが「豆まき」、次に思いつくのが「恵方巻き」という人が殆どでしょう。

最近では少々廃れつつある節分の文化として「柊鰯」というものがあります。これは、画像のようにヒイラギの枝に焼いたいわしの頭を刺して飾るという、少々グロテスクな厄除けのおまじないです。ここでは、この「柊鰯」の由来について紹介していきたいと思います。


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いつ頃から始まったか

節分の豆まきの起源は、平安時代から宮中行事として行われていた「追儺の儀」であると言われています。では、柊鰯の起源はどこまで辿ることが出来るのでしょうか。

image001実はこちらの起源も同じく平安時代にまで遡る事ができます。出典となるのは紀貫之の『土佐日記』です。女の視点として書かれた日記として、古典の授業でも有名ですね。

丁度このページが柊鰯についての該当箇所となります。くずし字なので読みにくいのですが、重要なポイントだけ現代語訳していきます。

「小さな家の門にしめ縄と鯔(ボラ)の頭、柊が飾ってある」という記述となります。この事から、土佐日記が書かれた承平5年(西暦935年)には既に似たような文化が存在していたということが分かります。

ただ、この当時は飾るのは鰯ではなく鯔の頭だったとなっており、いつ頃イワシへと変遷したのか、ということについては資料がありません。

その後もこの文化は長く続いていき、江戸時代の『古今要覧』、及び『和訓栞』にも柊鰯の記述が為されています。この時には既に鰯となっており、現在の文化の形に近付いていると言えます。

何故、柊鰯が厄払いになるのか

では、何故柊鰯が節分の厄払いとなるのか、ということについても見ていきたいと思います。ここで重要なのは、節分の厄のことを「鬼」ということです。

SekienOni節分の元となる「追儺の儀」も鬼が祓われる儀式として作られており、柊鰯が始まったとみられる平安時代においても現代と同じく「鬼」を祓うことが厄払いになると考えられていました。

この時代における鬼のイメージは、『宇治拾遺物語』や『今昔物語集』などから窺い知ることが出来ます。宇治拾遺物語には青鬼、赤鬼のような記述が為されており、私達のイメージする鬼とそこまで変わらないものであったことが分かります。

こういった物語の中に、「鬼から逃げる際に柊の茂みに逃げ込み、鬼の目に柊の葉が刺さって助かった」、という記述や、「鬼が鰯を焼いた煙の臭いが嫌で近寄ってこなかった」といったような記述が為されており、「鬼の弱点」を突くためにこのような文化が広がったと考えられます。

このように、節分における厄払いの文化というのは非常に伝統ある、歴史の長いものであることがわかりました。柊鰯はいままでやったことがないという人も多いと思いますが、折角なので一度やってみるのは如何でしょうか。

参考
柊鰯についての古い文献

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