年越し蕎麦の由来と意味は?大晦日の文化を見てみよう

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5bc7d763大晦日に年を跨ぐ頃に食べられる年越し蕎麦。毎年食べているという人もいれば、気が向いた時だけ、という人もいらっしゃるかと思います。

特に疑問を持たずに作っている人も多いと思うのですが、果たしてこの年越し蕎麦というのはいつ頃から始まり、どういった由来や意味を持っているのでしょうか?ここでは、「年越し蕎麦」について詳しく見ていきながら、合わせて日本で行われる大晦日の文化についても紹介していきたいと思います。


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年越し蕎麦は江戸時代から始まった

年越し蕎麦の記録として現在見つかっている最古のものは『大坂繁花風土記』という江戸時代の風俗を記録した書物です。この中には、以下のような記述が為されています。

十二月三十一日 晦日そばとて、皆々そば切をくろふ。当月節分、年越蕎麦とて食す。

大坂繁花風土記意訳すると、「12月31日、『晦日そば』として皆そば切りを食べる。12月に節分がある場合には、年越し蕎麦として食べる」という意味になります。

ここでポイントとなるのは「晦日そば」「そば切り」「節分」の3つですね。順に、この時代においてどういう意味があったのかを見ていきます。

晦日そばというのは当時の文化で、毎月の末日に蕎麦を食べるというものです。つまり、この時代において月末に蕎麦を食べるのは12月に限ったことではなかったということです。

次にそば切りですが、これは今で言うところの蕎麦と同様、麺にした蕎麦のことを言います。当時は麺にするだけではなく、蕎麦がきや練蕎麦などとして食べることもあったために、こうして区別されています。

最後に節分が12月という今からすると良く分からない表現について。江戸時代の中期はまだ正式な暦として太陰暦を使っていますので、現在と暦にズレがあります。そのため、今では2月3日となっている節分が当時は12月に来ることがありました。そういった時には、節分を祝って「晦日そば」を「年越し蕎麦」として食べた、という意味になります。

そして『大坂繁花風土記』にはもう一つ記述があります。

正月十四日 十四日年越とて、節分になぞらへ祝う。この日そば切を食ふ人多し。

意訳すると、「1月14日、十四日年越しとして節分と同じ様に祝う。この日もそば切りを食べる人が多い」。という意味になります。

十四日年越しとは、小正月である1月15日の前日に行う前祝いのことで、この時にも年越し蕎麦と同じように蕎麦が食べられていた、ということです。

なぜ縁起ものとなったのか?

では、もう一つの核心である、「蕎麦が何故縁起物として扱われるようになったのか」ということについても見ていきます。

これは、蕎麦が細く長いものであることに由来しています。つまり、長寿の願いが込められているという説が最も有力です。

この他にも、当時の蕎麦は今のものと違って切れやすかったので、一年の苦労や借金などを持ち越さないようにする、という願いが込められていたという説もあります。

他の大晦日文化

では、最後に、大晦日に行われる他の風習についても紹介していきたいと思います。日本国内では、除夜の鐘二年参りなどが全国的にポピュラーな文化となっています。

地方文化としては秋田で行われる「なまはげ」や、長野で行われる「お年取り」などがあります。

sub_img_1なまはげの起源は平安時代に行われていた「追儺の儀」にまで遡る事ができ、恐ろしい扮装で厄払いをするということから来ています。

お年取りはサケやブリなどの年取り魚というものを中心とした豪華な料理を食べるという文化です。

ちなみに海外では、New Year’s Eveという名前で呼ばれます。日本ではゆったりとした雰囲気のなかで行われる年越しですが、ヨーロッパ諸国では花火でお祝いしたり、中国では爆竹でお祝いするという文化もあります。(ただし、中国は暦が違うので1月1日が正月ではなく、時期がズレます)

もちろん日本でやると場違いですが、一度ぐらいは海外の年越しというのも見てみたいですね。

参考
レファレンス共同データベース

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